現実逃避

なりたい自分と求められる自分の狭間

面接官の人、コミュニケーション能力ありますか?

就職活動中の私はまさに今、あらゆる企業の人事担当者から品定めをされている最中だ。

経団連が公表する「新卒採用に関するアンケート調査」において、企業が学生に求める能力の第一位は「コミュニケーション能力」だ。

この場においてのコミュニケーション能力とは、もちろん大学生が馴れ合うのに使う「うぇーいw」ではなく、相手の考えを引き出し自分の考えを伝え、互いに受け入れて発展的な関係性を築くための能力だと理解している。

 

年末から就職活動を細々と続けている身からすると、就職活動において「コミュニケーション能力」を本当に測れているのか疑問がある。

そもそも私達に対して面接をする社員に、他者のコミュニケーション能力を測るだけのコミュニケーション能力があるように思えない面接やグループディスカッションを経験することが度々あるからだ

 

私自身は文章を書くことが比較的苦ではなく、書類選考においてお祈りメールを受け取ったことはない。

無事に書類選考を通過すればどの企業でもだいたい面接を実施するわけだが、ここで違和感を覚えることがある。面接の担当者とのコミュニケーションが上手く取れないのだ。

私自身、コミュニケーション能力を測るためには対話が重要だと考えている。そのため、できるだけ担当の社員と対話を通して私のことを知ってほしいし、相手のことも知ろうと努めている。

しかし、面接で主導権を握るのは面接を担当する社員であり、社員が展開を左右する。いわゆる「逆質問」以外に学生が自由に発言できる時間はほとんどないものとして設計されていて、それゆえに学生が社員を前にできることには限度がある。

それを理解して学生のいいところを引き出そうと努力している社員がほとんどだと思うが、自分のことを知ってもらえたと感じる面接は少ない。

 

不完全燃焼感のぬぐえない面接の例をいくつか挙げたい。

  • 一方的に「~を教えてください。」と学生に伝え、メモを取りながらあいづちを打つのみで、学生にスピーチ大会をさせる
  • 会社の理念に即した考えを伝えたいあまり、企業理念に登場する用語の繰り返しに終始して中身のない話を展開する
  • ESの内容を掘り下げて聞こうとするものの、望む答えが予測しづらく、答えにくい質問をする

 

このような面接は一生懸命話してもキャッチボールが成立しないためいまいち盛り上がらず、面接が終わった後には生産性のない会話に費やした虚無感が襲ってただ疲労が残るだけだ。

入社後のミスマッチを防ぐために就活中の自己分析と企業研究をするようによく言われるが、これらの不足だけでなく採用活動に関わる社員のコミュニケーション能力も原因になっているのではないかと感じている。

学生にコミュニケーション能力を求めるのなら、まず自分たちがコミュニケーション能力を測るのに十分なだけの能力を身に付けてほしい。

 

コミュニケーション能力は技能だ。東進の安河内先生がCMで「英語なんて言葉なんだ。こんなものやれば誰だってできるようになる。」*1と言っていたように、技能は練習して身に付けるものだ。

コミュニケーション能力は抽象的なもので、使う機会の多さは英語の比ではない。言葉を発する発さないに関係なく、コミュニケーションはとられている。相手の考えをできるだけ形を変えずに理解し、自分の考えを相手が形を変えて理解する必要のないように分かりやすく伝える。能力の指す範囲が抽象的な分、向上するのに必要なものもシンプルだ。

 

正直、現在の企業の採用活動に不満を言っても、自分の就職活動が変わるわけではない。私にできるのはこれを反面教師にすることだ。これからの時代を生きるにあたって、新学習指導要領のもとで教育を受けた後輩たちに落胆されないような、成長し続ける社会人になりたい。

 

*1:CMで聞いたこの言葉が妙に印象に残っていて、東進に通いこそしなかったものの、この言葉を胸に外国語の勉強をしてきた。成功者の言葉だから生存バイアスがかかっているように見えるが、本当に外国語習得が才能に左右されるものであれば世の中にこんなにたくさんの成功者はいないだろう。センスのありなしで向き不向きはあれど、センスだけで乗り切れるものでもなく、センスがなければ習得できないものでもないと、外国語を学ぶにつれて感じている。