モラハラの父が私に与えた影響
2021年4月、就職した。
2021年11月、精神を病んで出勤できなくなった。
2021年12月、休職期間が始まった。
これらの元凶は仕事のせいではない。私の成育歴のせいだ。
自分から望んで子どもに関わる仕事に就いたが、そのせいで過去のトラウマが蘇ることまでは予期できていなかった。
仕事をしていると世の中の父親が本当に子どもに対して愛情を持っていること、子ども達が当たり前に愛されていることを実感させられる。
自分と同じような子ども時代を他の子どもにも経験させたくない。もしそのような環境にいる子どもがいれば少しでも子どもらしく過ごせるような場所を作りたいと思ってこの仕事を始めたはずだった。だが、愛されている子どもを見ると知らず知らずのうちに自分の記憶と比べてしまい、自分もこんな風に愛されたかったと感じるようになっていた。
まともな両親のもとに生まれて、家族から愛されたいように愛されることを享受してきた人がうらやましくなってしまった。自分は家族を作ったり、子どもを持つにはあまりに足りない人間だと思うようになった。
自己憐憫の渦に落ちてしまった。
父は私のことをアクセサリーだと思っていた。外面が良く内弁慶で、自身に似て世間的にもかわいらしい外貌の私を、自分を良い父親であるかのように見せるために利用していた。母に似た妹とは扱いに差を感じていた。支配と愛情の区別がつかない人間だった。
母は私が高校を卒業するくらいまでかなり精神的に幼い人だった。今はまだマシだが、「どうしてそんなことを自分の子どもに言えるのだろう?」と思う発言を何回もしてきた。
二人は私の記憶がある限り、どうして結婚したのか分からないくらい仲が悪かった。
おそらく父が結婚してから牙を剥いたのだろうと推測しているが、隠しきれていないタイプの人間だったので、母も母で、見るからに地雷のような人間であるとよく見抜けなかったのだろうと思う。
私だったらあんなろくに笑いもしないような男*1は絶対に選ばない。
毎晩のように喧嘩していた。お互いが大声で怒鳴り合い、まだ幼稚園にも入らない年頃だった妹が驚いて泣き、怖くて仕方なかった私は祖父母の家に電話をして「迎えに来て」とお願いしていた。*2
「もう出ていく」と母が叫んだのを聞いて、泣き疲れて寝た翌朝、母が見当たらなくて不安になって家中を探し回った。(結局母はシャワーを浴びていただけだったが、これがきっかけで見捨てられ不安が身に付いてしまった。)
祖父母は私の救世主だった。恐怖から私を救い出して、おいしいものを食べさせてくれて、かわいがってくれる。
対して、家では父親がいつ私達の行動に機嫌を悪くし、怒鳴られ、罰としてデコピンをされる*3か分からず、ビクビクしながら過ごしていた。
大人からしたらそうは見えなかったかもしれないが、子どもなりに最善を尽くして過ごしていた。
生まれてから小学校1年生が終わるまでの7年間の記憶は自分で思っていたよりも深い傷になっていた。
母は離婚してからそれまでのストレスのせいか、精神を病んでしまった。
私が小学校高学年になるまで、かなり母に気を遣っていた。4年生くらいから自分の母がおかしいことが嫌になっていた。
感情のコントロールができなくなって泣きながら「殺してくれ」と言われた時は本当に参ってしまった。「死ぬなら自分で死になさいよ。人に頼むんじゃない。」と言ってくれた祖母が救いだった。
おかしい親のもとに生まれて、私までおかしくなってしまった。
年月が経って自分も普通に生きていける。嫌な記憶も乗り越えたはず。そう思っていたのに、飼い犬に手を噛まれるというよりも、飲み込んだはずの猛獣に胃袋から食い破られたような、強い裏切りを受けた。
無条件に愛されたかった。その時の機嫌で猫可愛がりされたり、怒鳴られたりしたくなかった。
まだ10年以上あるが、当時の両親の年齢に近付くにつれて、ますます理解ができなくなる。どうして反抗期でもないのに人に怒鳴り散らすのだろう。なぜそこまでして他人を自分の思い通りに動かそうとするのだろう。
一方で「人は自分がされたようにしかできない」のを感じる時もあって、自分の中に父親のような人を支配したがる側面を見る時もある。
こんなに不安定で混乱した人格の自分が嫌で仕方がない。
モラハラの配偶者がいる人は自分が崩れてしまう前に逃げてほしい。これに尽きる。