現実逃避

なりたい自分と求められる自分の狭間

あの評論文との邂逅は

私は夏目漱石になりたい。これは紙幣の肖像画になりたいという意味ではない。

夏目漱石のような教養人になりたい。彼の西洋と東洋のどちらかに傾倒せずに学んだその姿勢を尊敬している。教養は広く遍く学んでこそ身に付くものだという私の考えを体現している先達だ。

 

なぜ夏目漱石に憧れを抱くのか。振り返ってみると受験勉強中に読んだ現代文の読解問題がきっかけだったように思う。漱石のある作品を論じたものだった。作品名は思い出せないが、「草枕」や「虞美人草」だったような気がする。作品中で使われている語彙に仏教の用語集と共通するものがあり、漱石は執筆中にその用語集を読んでいたのだろうという推論が立てられていた。

その一文が印象的だった。なぜかは思い出せないが、もしかすると当時の自分には夏目漱石漢籍や仏教のイメージがなかったせいかもしれない。当時はまるで仙人のようなイメージを抱いていた偉大な作家がそのような人間味のあることをしていたというのに感銘を受けたのかもしれない。

この文との遭遇は私が大学で学ぶのに少なからず影響を与えている。主専攻の英語に加えて中国語や中国思想、仏教の授業を履修しているのは既に持っていた関心を漱石が後押ししてくれたからだ。

正直に言って漱石自身の思想は理解できないが、これは時代背景のせいだろう。現代なら右翼と呼ばれても仕方がない思想だが、私自身きちんとした知識の上で建設的な理論を持つ右翼は嫌いではないし、漱石の思想もその類だと考えている。

 

太陽の照るこの時期、コカ・コーラ社の前の道を歩くとあの文との出会いを思い出す。現代文の問題集だったかもしれないし、赤本だったかもしれない。問題を解くためではなく鑑賞するためにもう一度読みたい。そして引用元である本を手に入れたい。幸い当時使っていた問題集は全てそのままだ。