現実逃避

なりたい自分と求められる自分の狭間

精神的疲労を癒す

忙しい1週間が過ぎた。
日曜は英検の二次試験があった。月曜には模擬授業があったし、水曜はESの締切、金曜は発表をしなければならなかった。

やるべき事に追われて人間らしさを失ったような気がする。取り戻すためには人間らしい余暇を過ごすのが一番だ。
今週末はNetflixで配信しているドラマ『13の理由』が私の心を癒してくれた。

この作品との最初の出会いは学校に通えていなかった中学生の頃、図書館で借りたことだった。表紙の少女の綺麗な目が印象的だった。
13の理由


最初は既にこの世を去った少女が自殺を実行に移す前にテープに声を吹き込むという奇妙な設定(今思えば媒体の違う遺書だと分かる)に少し戸惑ったが、次第にその内容に引き込まれていった。自殺した少女がその動機を語っていくことで話が展開するため全体的なトーンは重く、暗い。自殺をしたハンナの苦しみが自分のもののように感じられるときさえあった。それでも長い小説ではなかったためか、読後感も悪くなく私にとって忘れられない本のうちの1つになった。

精神的に病んでいて最も死に近いところにいたあの頃だからこそこんなにも心に強く焼き付いているのだろう。同様にあの頃にたった一度読んだだけなのに忘れられないのが『優雅なハリネズミ』だ。これもまた生死がテーマになっていて、私の生死観に影響を与えた。そろそろまた読むべきときに差し掛かっているように感じる。同じ作者による『至福の味』も悪くなかった。書店には置いていないだろうが、どの人も一度はこの作品を読むべきときがあると信じている。
優雅なハリネズミ

忘れられない物語として『13の理由』が私の一部になり、私はまた学校に通うようになった。日々の機微に反応して精神的バランスを崩すほどナイーブだった私は受験を耐え抜けるくらいの強さを手に入れて、大学生になった。大学生になってすぐの頃、Twitterに流れてきたのがまさに、『13の理由』がNetflixによってドラマになり、その内容がために青少年への影響がアメリカやカナダの学校で問題になっているというニュースだった。
心が一度原形を留めないほどに打ち砕かれ、再度成型する過程の苦しみを支えた作品が映像になったことは間違いなく嬉しいことだったが、それによって議論が起こるのは作品の真意が伝わっていないようで息苦しさを感じたのをよく覚えている。

当時はNetflixが何なのかもよく知らず見る機会がなかったのだが、先日登録を済ませてその権利を手に入れた。いつか必ず見なければならないと感じていたが、思っていたよりその機会は早くやってきた。正直、心の摩耗した部分を取り戻すのに適した作品ではないと思う。最初は文字ではなく映像で直接情景が目に入ることで私の精神がバランスを崩さないか心配だったが、自分はこの話の行きつく先を知っているから大丈夫だと言い聞かせた。
また、ドラマについて調べていくうちに英語中級者向けだというブログの記事も見つけたため、リスニングや会話表現の勉強として英語音声を字幕なしで見るようにしている。

実をいうとたった二日で全て見終わるはずもなく、まだシーズン1の7話の途中までしか見ていない。ここまで見た感想として主人公であるクレイの精神の脆さがとにかく目に付くという印象だ。本を読んでいるときには全く気付かなかった。映像だとより強調されている部分もあるだろうが、当時の自分はクレイと同じくらい心が脆くなっていたのだろう。随分と強くなったものだ。それから、なぜか主人公たちが高校生だということをすっかり忘れていた。なんとなく中学生だと思い込んでいた。おそらくこれは読んでいくうちに自分と登場人物を重ね、同化していたのだろう。それほどに入れ込んで読んでいた。

見終わったらその感想をまた文章にするつもりだが、7話の時点でクレイの精神状態はかなり悪化していて見続けられるか自信がない。それでもクレイの精神的危機の顛末を見届けなければならない。